2013/10/13

今日は、娘の幼稚園生活最後の運動会でした。

よかった。
本当によかった。
あぁ、感動した。
本当に、素晴らしい一日でした。


実は、前日まで運動会に不安を抱えていた娘。
苦手な徒競走や鉄棒、平均台をやるのが嫌だと、毎晩私に嘆いていて。
娘は、完全に私の血を引いていて、運動があまり得意なほうではないのです。
(でも、身体はしなやかでバランス感覚が良く、そしてなぜかダンスの振りを覚えるのが早いという特技も…‼)

娘を通して、私も小さい頃に運動会が憂鬱だったことをリアルに思い出し、娘の気持ちを想うたびに、自分の幼心と重なって胸が痛くなったものです。
運動会が迫る中、「娘になんて声をかけてあげたらいいのだろう」「私が同じ立場だった時、親に何をしてほしかっただろう」と、毎日考えて過ごしました。
「安易に『大丈夫だよ!』なんて言葉も違うよな…だって、苦手なもんは本当に出来ないし。全然大丈夫じゃないし」とか、
「『例え失敗したとしても、頑張る気持ちで臨むことが大事なんだよ』も違うよな…だって、失敗を想定して励まされても、嬉しくないし」とかとか…。


ー娘は、今何を一番望んでいるのだろう?ー

そこに、ずっと意識を向けてみました。すると、見えてきたのです。
「そうだ、娘は上手く出来るようになりたいんだ‼」と。
そう思い至った時、
「ねぇ、じゃあ運動会までにママと一緒に練習しようよ‼」
と、声をかけました。
それから、空いている時間にちょこちょこと、公園に行き鉄棒の練習をしたり、パパに徒競走のスタートダッシュを教わったり、
ソファの肘掛け部分を平均台に見たてて練習をしたりしました。

そして、運動会当日。
一番不安を抱いていた、鉄棒と平均台をクリアしたのです‼
しかも、幼稚園で練習した時は、一度も成功したことがなかったのに、本番で初めて出来たとのこと。
嬉しかったです。
本人も誇らしげに、帰り道に何度も何度も、その話をしてくれました。

しかし、家に着くと突然泣き出した娘。
「どうしたの?」と聞くと、
「幼稚園最後の運動会なのに、かけっこが4位だったの」
「2番とか3番が良かったのに」
「おうちで練習したとおりにやったのに」
「足が遅いのが嫌なのーーーーー‼‼」
と、声を上げて大泣きしてしまいました。

私も薄々、徒競走の順位が気になっていたのですが、笑顔で帰宅した娘を見て、他の分野で嬉しい想いをしたから大丈夫なのだろうと思っていましたが…
悲しみは、後からじわじわやってくるのですね。
それから、なだめるように声をかけたのですが、全然ダメで…。
むしろ、「それでもすごくカッコ良く走れていたよ」「鉄棒や平均台が出来たから、よかったじゃん」などと声をかけると、かえって大泣き。
「そんなことないもん‼」という否定感が、より際立ってしまったようでした。

ここでもひたすら、娘は今何を一番望んでいるのだろうと、考えました。
そこで私は、自分の過去の話をしてみました。
「ママもね、かけっこが遅くて、いつも4番か5番だったんだよ」とか。
「それがすごい恥ずかしくて嫌だったんだよー」とかとか。

すると、娘はだんだん気持ちが落ち着いてきたようで、次第に泣き止みました。
そして、「ママもそうだったんだね」と、話をよく聞いてくれようとしたのです。
そうか、娘は共感してほしかったんだなと、思いました。
ただただ、同じ気持ちを同じ目線で一緒に味わうだけで、人は救われるということ、私自身が何度も経験してきたことでした。

私は、自分が辛い時に何かアドバイスをされたり、元気づけようと励まされたりすることで、余計に傷つくことが多々あります。
今回、逆の立場で娘にそうしてしまった自分を振り返った時、「娘に元気になってほしい」という私のエゴが、働いていたことに気づかされました。

ー相手に元気でいてほしい、幸せであってほしい。ー

こう望むことは、決して悪いことではなく、むしろ愛情でもあると思います。
けれども、辛い立場にある人にそれを望むのは、相手の現状を否定することになるのだと、私は思うのです。
本当の意味で元気になるには、本当の意味で幸せであるには、まずは現状をありのまま受け止めることからしか始まらない。
さんざん泣いて、さんざん嘆いて、落ち込みきったその先に、ごく自然に力が湧いてきて、その力が、現状を変えていこうという方向へ向かうのだと。
こんなふうに、日々たくさんのことを、娘から学ばせてもらっています。

それは、娘が素直に感情を表現し、ありのままでいてくれるからです。
だから私も、自分のありのままを娘に表現しながら、かつ、娘のありのままを出来るだけ受け止め、理解しようと努めたい想いです。
こうして、日常の些細なやりとりの中に相手の求めているものを見出し、一つ一つのコミュニケーションを大事にしたいのです。

そんな私が、最後娘に言ったのは、
「嬉しいことだけじゃなくて、悲しいことだけでもなくて、両方の気持ちを感じられたってことが、一番素晴らしかったと思うよ。これがまさに、心に残る幼稚園最後の運動会だね」
と。
この時、娘はなんだか一番納得したような、腑に落ちたような顔をしていました。

そう。
私が冒頭で、「素晴らしい一日だった」と書いたのは、なにも、鉄棒が出来たからとか、そんなことではありません。
こんなに小さな子でも、様々な経験を通してたくさんの想いを味わい、懸命に生きていることを示してくれたことに、心底感動したのです。
そして、娘がこんなに健やかなのは、共に育ててくれる人たちがいるからだということも、忘れてはならないと思っています。

朝から幼稚園と自宅を4回も行き来して、場所取りや祖父母の送迎、私の忘れ物を取りに行ったりしながら、文句一つ言わずサポートしてくれた、娘を本当に大事に想っている旦那。
私が仕事の時にいつも娘のお世話をしてくれる、炎天下の中でTシャツ焼けしながらビデオ撮影に勤しんでいた祖父母。
運動会が終わり、その場にいる誰よりも感極まって泣いていた、娘の担任の先生。
朝早くから、ずっと動き続けながら運動会の運営をサポートしてくれた保護者代表の方々。
お友達や、ご家族みんな。

今日は、そしていつも本当にありがとうございます。
未熟すぎて迷惑かけまくってしまう私ではありますが、みんなの力を借りながら、娘の心身魂を育てあげるという大切なお役目を果たしたいと思っています。