2016/08/03

生まれてきてくれて、ありがとう

先日、娘が9歳のお誕生日を迎えました。



お誕生日は、ディズニーランドでお祝いするのが、いつの間にか恒例となりつつあるので、今年も行ってきました。




こちらは、スターツアーズ乗船前。
3Dメガネをかけて。


舞子・小舞子。
激似(笑)


シンデレラ城の椅子にて。


ラストエンペラーばりの貫禄もつき、成長したのを実感・・・。


スプラッシュマウンテンでは、


落ちる時、手を上げられるようになったのも、成長の証・・・。



23歳で、母親にしてもらった私。
それはそれは未熟で、母親の器なんて無くて、もう大変でした。

決して、謙遜して言ってるわけじゃない。だってほら、そうでしょ?
皆さんにとっての23歳を、思い出してごらんよ。
あの時の自分が親になるとか、ありえないでしょ?(笑)なんて。

だから、正直どこかで思ってた。
「こんな私が親でいいのかな。この子は幸せかな」って。

だけど、
これって完全に、子どもの主導権が親にある前提でないと湧いてこない発想だということが、最近ようやくわかったの。

それに気づいた時、
なんて傲慢なんだって、思った。
自分を責めてるフリをして、実は傲慢。

子どもが、親によって幸せを左右される?

違う違う。

どんな親の元であっても、どんな環境であっても、子どもは自分で幸せになる力がある。

人が幸せになる権利は、誰にも汚されるわけがない。
たとえ一番愛する親であっても、幸せになる権利を明け渡せるわけがない。

とは言え、ならば何やってもいいの?

それも、違う違う。

子どもが自ら幸せになる力を信頼しながらも、私は私で少しでも、今よりもっと愛せるように努力を惜しまない。

そんなことを、誓った日でした。


しかし、
娘の成長が、私の成長を待ってくれないね。

最近はというと、私の靴下履いてるし、ビーサンも同じサイズになりつつあるし。

実家に泊まりに行ってシャワーを浴びた時、私は自分の下着の替えを忘れてしまい、出来心で娘の替えパンツを履いてみたらジャストサイズだったというのは過激すぎるエピソードなので絶対に秘密です。
(その後、娘のパンツを履いてどう過ごしたかとか、あまり想像しないでほしい・・・)


私を超えてけ。どんどん超えてけ。
いや、もうすでに超えてるか。

そうして自由に、はばたいて。