はじめました


 私のブログ遍歴は色々とありまして。


まず、ブログを始めたのが2010年。

2年ほど続けたものの、とある記事で不満や本音を赤裸々に書いたら大炎上し、1ヶ月ほどに渡り誹謗中傷コメントが殺到。


今はようやく、ネット上での誹謗中傷が相手を追い詰めてしまう危険なものだと認識されてきましたが、当時の世間はその認識もあやふやだったため、26歳だった私が到底受け止めきれるものではありませんでした。


それだけでなく、当時進行していたお仕事もそのせいで降板となり、すでに撮影を終えたものが全て無駄になってしまい、関係者の方々に大変なご迷惑をおかけしてしまったことは、本当に本当に辛かったです。



それからは、発信すること自体が怖くなり、PC前に向かって何か書こうとしても身体が硬直するという時期をしばらく過ごしました。

(ちなみに当時のブログは非公開にしているので検索しても出てきません)



そして、その頃Twitterの次にFacebookが流行り、実名登録のお友達同士でのやりとりというのが匿名誹謗中傷恐怖症となっていた私にはちょうど良く、Facebookがブログ代わりになっていきました。

そこで繋がる知人友人たちが、温かい気持ちで記事を読んでくれていたおかげで、私は徐々に恐怖症も和らいでいきました。


その後はInstagramも始め、スマホから写真と共に投稿できる手軽さや人と交流できる楽しさからブログはすっかり御役御免となったのですが、ここにきて新たな問題を感じるようになったのが今から2年くらい前。


それは、必要不要問わず情報が入ってくること。

ついつい手にしてスクロールしてしまうこの常習性、制御するのがなかなか難しくなってしまうほど、SNSというのは付き合い方にコツが必要なように思えます。


画面を開けば情報過多で不要な情報に惑わされ、投稿すれば望んでいない人に不要な情報を届けてしまう。

この仕組み、仕事などでは大変重宝しますが、生きるうえではデメリットが上回る場合もあることは、今、私だけでなく多くの人が実感しているのではないでしょうか。



私自身についてですが、まず見る側の立場としては、見たくないものは見ないようにすることでSNSのデメリットを取り除くことは今のところ出来ています。

しかし発信する側としては、見たくない人に見せてしまうことが防げずにいます。

これをもう少し詳しく言うと「なんとなく又は偶然に見られてしまうのではなく、本当に見たいと望んでくれた人にだけ届けたい」という気持ちです。


そこで、わざわざ訪問しなければ見ることの出来ない'ブログ''というものに改めて着目し、原点回帰しようと思い今に至ります。


もちろん、ブログにしたところで「なんとなく又は偶然に見られること」は世に発信した時点で完全に無くせるわけではないけれど、スクロールしただけで自動的に目に入ってくるよりずっとずっと、「なんとなく又は偶然」を防げるとは思います。



こうして、ブログの炎上なんてものを経てもなお、私の中で「書くことを通した表現」がいつも頭の隅にあってまた挑戦したいと思えるのは、書き出すことで自分自身が整理され、解放され、満たされ、納得し、癒されるからです。


そして、それを誰かに見てもらうことで、人と社会と繋がれるような気がするからです。


人や社会との繋がりを求めるなんて私にしてはめずらしい...一瞬そう思ったけれども、そのはず、ここ2年ほどは人と会えない日々が続いたので、もしかしたら自然な変化なのかもしれません。



自分のためだけでなく、人のためだけでもない。

自分にとっても人にとっても良い作用をもたらす仕組みやものづくりの中にいたい。

完璧でなくとも、なるべくそうでいたい。


そんな気持ちで、改めてこの場所で発信することを選びました。



この場所では、私がこれまで控えていた本音や大切に想っていること、少し踏み込んだ内容などを、積極的に書いていけたら良いなと思っています。

だからこそ、本当に読みたいと思ってくれた人にだけ読んで欲しいです。



外に発信する分には、誰かを傷つけることがないように十分配慮した言葉選びを心がけるつもりですが、SNSよりかはフォロワーや閲覧者を気にすることなく少し踏み込んで書けるこの場所が、私にとって良い作用をもたらすことは間違いありません。


それだけでなく、読む人にとっても本当に得たい情報なのか一度立ち止まって考えるきっかけとなりますように。

そして、その上で読んでくださった人たちにはこの場所が良い影響をもたらせますように。



というわけで、また真実を明かす時が来ました。


本領発揮です!


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