その人そのものをみる
「自分がされて嫌なことは人にもしない」。
とても素晴らしい心がけだと思います。
けれど、そもそも「人によって嫌なことは異なる」ということを、忘れてはいけないと思います。
自分がどうありたいかだけでなく、自分がどう感じるかだけでなく、「その人そのものを純粋にみる」ということ。
それがなければ、いくら優しさや思いやりを持っているつもりでも、結局自分の信念を相手に押し付けることになってしまうかもしれません。
と、14歳の娘と接していていつも思います。
私が幼い頃にしてもらって嬉しかったことが、娘にとっても嬉しいとは限らないのです。
私が幼い頃に経験した嫌だった出来事が、娘にとっても嫌だとは限らないのです。
お母さんにしてもらいたかったことを娘にしてあげたり、友達の中で起こった嫌な経験を娘から取り除いてあげようとしたりなど、
自分の経験に基づく空想によって娘そのものをみてあげられないのは、もうやめないといけません。
そうは言っても「その人そのものを純粋にみる」ということは決して容易くないです。
しかし「呼吸そのものを純粋にみる」ことができるフリダヤヨガの毎日の自宅練習が、自分以外の人と接する時の態度や姿勢を変えてくれるという希望があるので、今日もヨガを練習しています。
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