愛しやすい人


憎しんだり嫌悪感を抱いたり、人に何かしらのネガティブな感情を抱くことは何か違うんじゃないかなぁと思い始めている人は、特にヨガをする人の中に多いのではと思うのですが、

だからと言って誰しもが誰でも愛せるかと言うと、そんなわけもないのが現実かと思います。



私自身、納得がいかないことや理解し難いこと、つまり愛しづらいと感じる人や事柄や状況が、正直どうしても存在します。


例えば、道でベビーカー押しながら少しもたついているところをすれ違いざまに「邪魔だな」と言われるなど、人の心無い言動行動に運悪く当たってしまった時はもちろんのこと、


認められたい・成功したいというような承認欲求を満たすために、権威に媚びたり、人を操ったり、騙したり、気を引いたり、弱く見せたり、強く見せたり、不安を煽ったり、甘い言葉ばかりで誘ったりといった、人の承認欲求の根深さを目の当たりにした時などに、


その相手のことは愛しづらいなと感じます。


「こういった気持ちになる出来事に遭遇した時どうしますか?」

とは生徒さんからよく質問を受けますが、私としてはこういう気持ちと上手く付き合う秘訣やコツなどは何もなく、社会で生きて人と関わっていく限りこういうことは付きものだと思っているので、ただ収めて鎮めて飲み込んでいるだけで、そのうちに消化できる時もあれば単に忘れ去られていく時もあるという感じなのですが、


近頃どうもモヤモヤすることが立て続けに起こり、消化や忘れ去られるまでの時間が足りず困っていたところ、いつもの「自然と消化される又は忘れ去られるまで待つ」という受け身な姿勢でいることができず、「どうしたら自ら消化できるか」という問いがついに生まれたので、洋輔先生に聞いてみることにしました。



私「どうしても受け入れ難いアノ出来事...このネガティブな気持ちはなくなっていくものなのかなぁ?」(アノ出来事の詳細は割愛します)


洋輔先生「舞子先生が嫌だと言っていることってつまりは、みんなのゆく道を唾吐きながら汚しているのにデカい顔して歩いている人がいたら、うわぁーやめてほしいなって思うってことだから、その気持ちは無くならないと思うよ。だけど消化されると、その気持ちの落とし所が見つかるとは思うよ」


私「消化..なんかこの件は、つまづいてる感じ」


洋輔先生「消化されるには、マークの言う感情の流れの話の通りなんだと思う」(この話は今回のブログテーマと分けたほうが良いと思うので割愛します。また別の機会に。この話もね、すごく良いですよ〜)


「僕なりに消化して今思っている落とし所は...心無い言動行動も承認欲求も、その裏にあるのは『愛されたい』なのよ。だからその人たちは、誰かに愛されることでしか変わらないのよ」


「誰しもが愛されれば問題は無くなるのだけど、僕たちがその問題行動を起こす人のことを直接愛するのは無理でしょ?だから、みんなそれぞれ、自分の愛しやすい人を愛せばいいんじゃないかな」


「僕たちはまさに子育てですよ。子どもを愛することで、世の中の承認欲求をもとに生まれる害を無くせる」



!!!



ということで、まとめます。



before:

愛しづらい人と遭遇

愛しづらい人を愛そうと努力をする

無理

無謀なチャレンジに終わる


after:

愛しづらい人と遭遇

その人が誰かに愛されますように(私は絶対無理だけどね)と願いつつ、私は今日も今日とて愛しやすい人を愛する努力をする

愛される実感を持った人を一人でも多く世に送り出して、後世から不快な出来事を取り除くことに貢献

自分の住む場所から問題は無くなり、その結果が「居心地の良さ」として自分に返ってくる。(生きているうちかは保証できません。たぶん難しいだろうなー、そんな短期間の話しではなかろう)



今後、不快な目に遭って嫌な感情がまた出てきても、今目の前にいる愛しやすい人、愛すべき人を愛することが、そのネガティブな感情に対する最大限に出来ることであると確信すると、とても楽になります。


嫌なものは嫌だし、その気持ちが無くなるわけではないし、無くす必要のない事柄の場合もある。

それでも、それに対して自分がすべきことが明確になっていると、モヤモヤは晴れます。


それが落とし所ということですね。

洋輔先生、ありがとう!!



というわけで、皆さんにとって愛しやすい人は誰ですか?

考えなくても頑張らなくても愛せる人がいたらその人を、いなかったらまず自分を愛することから始めましょう。


そして、愛するという具体的な行動として私たちはフリダヤヨガの自宅練習をすすめています。

フリダヤヨガを通して自分の呼吸という愛に触れます。

呼吸によって常に生かされている事実、つまり常に愛されているという事実を、毎日の練習の中で思い出すことができます。

愛されていることを思い出し実感すると、今度は愛することにも等しく関心が湧きます。

そして愛することと愛されることがひとつであることを実感します。

コメント